Page:Onishihakushizenshu03.djvu/371

提供:Wikisource
このページは校正済みです

デミーとも名づく。


後の懷疑學徒

《後の懷疑學徒、其の十句義。》〔九〕アカデミーが懷疑說を離れたる後に至り又懷疑說を主張したる人の中アイネジデーモスを以て最も肝要なる者となす。彼れの流れを汲める者としてはアグリッパ及びセクストス、エムピリコスの名を揭ぐべし。此等を稱して後の懷疑學徒といふ。此の學徒は自ら其の學脈を新アカデミーに受けず寧ろピルローンに引けりと唱へたれども其の新アカデミーの影響を受けたる所あるは蔽ふべからず。アイネジデーモス等の主張せる所は畢竟ピルローン等の已に唱へし所に異ならず。曰はく、吾人は事物の實相を知ること能はず、如何なる斷定に對しても同等の理由を以て其の正反對を主張することを得、吾人は一切知識を得ること能はざるが故に凡べての判斷を停止せざるべからず、無知を主張することをすらも休めざるべからず。斯く凡べての判斷を止め固執を離れ自家の無知をさへも固執せざるに至り始めて心の安靜なるを得べし。然れども吾人が世に處して行