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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/367

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に知識すること能はず故に吾人の正當に取るべき道は判斷を止むるに在り。哲學史家の中にはアルケジラオスの懷疑說を唱へたりし目的は陽に此の說を唱へ而して之れを方便として眞實はプラトーンの哲學を說かむとするに在り(云はば懷疑說は其が權說にしてプラトーンの哲學があくまでも其の實說なり)と解釋せるものもあれど此の解釋には十分の根據なし。惟ふに、當時は學派の軋櫟の盛んなりし時代にして各〻旗幟を樹てゝ相降らずプラトーン學徒が當時大に勢力を增し來たりしストア學派に向かひて駁擊を試みるやストア學の智識論の感覺說(プラトーンの說に反對せるもの)を懷疑的方面より打破することは其の最も取り易き道なりき。是に於いてか彼等は切りに知覺の關係的なることを主張したる極遂に彼等みづからプラトーン學の立塲を離れて懷疑說を主張するに至れるものとおぼし。

《カルネアデース。》〔五〕新アカデミーの懷疑說を擴張することに於いてアルケジラオスよりも更に力ありしはカルネアデースなり(西紀前二百十四年か三年にキレーネに生まれ百十九年に死せり)。彼れは亞典府より他の學者と共に有名なる使者として羅