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むるに在り。其の取る所はストア並びにエピクーロス學派とは大に其の趣を異にすとはいふものから其の吾人が生活の目的として到達を期したる事に於いて如何に相同じき所あるかを見るべし。此等の學說は凡べて當時の人心が外界の變動に動かされずして各自安靜ならむことを求めたるに應ぜむとしたりしものなり。


新アカデミー

《アルケジラオスの懷疑說。》〔四〕懷疑說が一大勢カとして當時の學界に認めらるゝに至れるはアカデミーが中途にー轉して此の說を主張するに至れりし後のことなり。アカデミーをして懷疑說に轉ぜしめたる人をアルケジラオス(西紀前三百十一年に生まれ二百四十一年或は四十年七十五歲にして死す)とす。彼れは著書を遺さざりしを以て吾人の其の說に就きて知り得る所甚だ不十分なり。彼れはストア學派を攻擊して其が確實なる知識を得べしと說けるを駁し吾人の觀念の眞否を定むる標準なしと論じたり。彼れに從へば吾人は感官を以ても又思考力を以ても事物を眞實