コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu03.djvu/362

提供:Wikisource
このページは校正済みです

《個人的、自利的。》〔十〕エピクーロス學派の所說は全然個人的にして、當代の個人的傾向を最も明瞭に代表せるものなり。以爲へらく、社會は人類が互に危難を避け各自平安なる生活を營まむが爲めに組織せるもの即ち人類が自利を計るの思慮よりして造り出だせるものに外ならず。賢者は成るべく國務に與りて累を蒙むることをなさずと。かく國家の職務に服することを避くるのみならず、エピクーロスは家族の生活にも疑ひを挾み、婚姻は却つて係累を多くする恐れあればとてむしろ之れを避けむことを勸めたり。かくエピクーロス學徒は國家及び家族の團結を輕んじたる代はりに特に朋友の交情に重きを置けり。

各自優美に自家の安靜なる生活を求むることがエピクーロス學派の眼目とする所なり。是を以て此の派の理想的賢人はストア派の理想的賢人の如く偏屈ならざる代はりに義務の念を缺き個人が遍通の法則に對する嚴格なる念盧を缺けり。此のエピクーロス學派の個人的、自利的快欒說に於いて當時の希臘羅馬の社會の狀勢を窺ふべし。