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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/357

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より看れば世には神怪不思議の在るべき筈なくまた感官以上のものの存在を認むる必要なし。凡べて存するものは虛空と虛空の中に散在し又運動する元子とあるのみ森羅萬象は皆元子の集散離合するによりて成ると。彼れの元子論は畢竟デーモクリトスの說を襲へるものに外ならず。唯だエピクーロスは元子の形の種類は數に於いて限りありと考へ又原子は本來上より下に直下するものなれども其の中少しく左右にるゝものあるを以て元子間に衝突を起こし遂に渦旋運動を生じて多數の世界を形成し而して其の世界は或は壞れ或は成り成壞休む時なしと說けり。其の謂ふ物質元子の運動は目的ありて起こる者に非ず。故にストア學は一面唯物論にてありながら他面は尙ほ精神論にして且つ目的說なりしがエピクーロスの學は純乎たる唯物的元子論にして目的說を容れず。

《死後の生活なし。》〔四〕吾人の靈魂は火氣にして甚だ動き易き元子なり而して吾人の死するや件の原子は離散するが故に死後の生活てふものなし。此の故に吾人は死後地獄に墮ちむといふが如き恐れを懷くを要せず。但しエピクーロスは神々の存在を許せど其の所謂神は人間の如き形を具有し唯だ人體よりも精微なる不死のもの