このページは校正済みです
ストア學說は其の內部の構造に統一を缺ける所あり。彼等は在來の希臘哲學に存せし幾多の思想を取り入れて之れを結びたれども其の結合は十分に成効せざりき。是を以て其の變遷するに從ひて折衷的傾向次第に明らかに現はれ來たることとなれり。
ストア學徒は當時廣く用ゐられたる區別に從ひて哲學を三部分に別かてり、論理、物理、倫理是れなり。されど其の主眼とせる所はその第三のもの即ち倫理道德の硏究にありき。
《ストアの知識論、眞理の窮極標準。》〔三〕ストア學派の論理に於いて哲學上注意すべきは眞理の標準の論、換言すれば知識論なり。知識論に於いてストア學徒はキニク學派の學脈を受けてプラトーン及びアリストテレース等の通性論に反對し通性は眞實存在するものにあらず唯だ吾人が主觀に思ひ設けて言語に言ひ現はせるもののみと考へたり。後世の用語にて云へば彼等は名目論風の說を取れり。其の論に曰はく、凡べて吾人の知識は感官を以て個々物を知覺することによりて成る、吾人が心の本來は拭へる板の如し、吾人の心中に生ずるは皆外物の印象に外ならずと。見るべしプラト