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する方向にむかひたり。約言すれば希臘人の思想は個人的となると共にまた各〻自家の心中を顧みて世間の如何に轉變するにもかゝはらず變ぜず動かざる安心立命の地を我が心の中に求めむとせるなり。是れ當時の哲學の根本思想なり。かるが故に當時の哲學に於いては理論上の興味大に衰へ主として實際道德の硏究に著眼するに至りぬ。天地萬物の成立或は知識心理の事に關して固より多少推究する所はありたれどもそれすら其の要素となれる思想はおほむね在來の希臘哲學に現はれたるものに取れるにて、特に理論上の大發明大進步と稱すべきものを發見せず。されど各人が世に處する道即ち實際道德の事に至りては各學派各〻一方に偏しながら深く心を此に用ゐたるを見る。是れ此の時代を倫理時代と稱する所以なり。

《宗敎時代。》〔四〕此の時代に於ける特殊の學派なるストア、エピクーロス、懷疑の三派は要するに實際的行爲を其の學の主眼とし各自實際德を修むることによりて安立の地を得べしと信じたり。件の倫理時代はアリストテレース以後なる時代の前期なり。然るに其の後に至りては唯だ個人が各〻德を修めむと力むることを以て滿