Page:Onishihakushizenshu03.djvu/265

提供:Wikisource
このページは校正済みです

吾人の靈魂が何故に墮落して肉身に宿れるかの理由に就きてはプラトーンの說明一定せず。約めて云へば、吾人の靈魂は素より純粹のイデアならずして已に多少非有に與かる所あり從ひて物界即ち感官界に引かるゝ傾向あるが故にこの傾きの强きものが墮落して肉身に宿れりといふ說明最も重きを爲せるが如く思はる。

《靈魂の肉體に宿れる狀態の二方面。》〔二四〕吾人の靈魂が肉體に宿れる狀態に於いては二つの方面あり。一は理想界に向かふ方面、他は肉身に繫がれて身體の生氣となる方面なり。是の故にプラトーンは吾人の精神に於ける部分を區別せり。但し或對話篇(『ポリタイア』、『ファイドロス』及び『ファイドーン』等)に於いては精神の部分といふも同一靈魂の活動にして畢竟一心に於ける種々の作用に外ならずと說けるに止まりたれども『ティマイオス』に至りてはー轉して尊き部分と卑しき部分との相分離し得べきことを說けり、即ち精神の部分を明らかに部分(μερή)として說くに至れり。以爲へらく、尊き部分は肉體を離れて存在し得るもの是れ純粹の理性(λογιστικόν)にしてイデアを觀ずるものなり。他の部分は吾人の靈魂が肉身に繫がり居る故を以て存するものにし