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を試みたる如くに主觀的說明に一步を踏み入るゝはプラトーンに取りて全く綠遠きことにはあらざりしならむ。然れどもその如き主觀上の不完全なる感官的知覺の存する所以を尋ぬれば遂にプラトーンの云へる如き有、非有の對峙を持ち來たらざるを得ざるべし。又彼れは十分に明らかなる意識を以て主觀的說明を用ゐたりとも見えざるなり。
《イデア論とデーモクリトスの說との比較。》〔十八〕プラトーンの謂ふイデア論は更に說明を要すべき點少なからざれど要するに感官以上の實有界と感覺界との兩界を明らかに區別せるは是れ彼れが哲學の樞軸にしてまた哲學史上に一大潮流を開始せるもの也。而して彼れの哲學に對して正反對の立脚地を占めたる者と見るべきはデーモクリトスなり。デーモクリトスの說ける所は明瞭なる機械的唯物論なり。プラトーン學は希臘哲學に於いて始めて明らかに物體以上のものの存在を說きてそを實有の界とし却りて形體の界を實有ならぬものとせり而して其は目的說なり理想論なり。彼れの學說はかくデーモクリトスのと兩々相對して西洋哲學思想の二大潮流の源頭に立てる者なるが、其が學說の間にまたその趣の一致せる所あるを見るは奇な