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五官の感ずる所は常に流轉變化して定まり無きものなればこれを以ては事物の永恒の理法を看取し得べからざれば也。これを看取するものは感官上の働きならぬ心性作用即ち理智なり。此の理智の對境となる者をばプラトーンはアイドス(εἶδος)と名づけたり、又之れに名づくるにイデア(ἰδέα)と云ふ語をも用ゐたり、又之れをウジア(οὐσία 本質又は本體)又(αὐτό κᾶθά αὐτό)(自存、自性)と名づけたり。これをプラトーンが哲學の骨髓なるイデア論となす。彼れの謂ふイデアは哲學史家の屢〻云へる如く恰もソークラテースの所謂槪念をして客觀的に形而上の存在を有せしめたるものと見るべし。而して此の如きイデアを心に看取する方法これ硏究法としてのディアレクティックなり、イデアの何たるかを論ずるもの是れ形而上學のディアレクティックなり。

《イデア論の由來、其の四要素。》〔九〕プラトーンがイデア論の由來を尋ぬれば四ツの要素ありといふを得べし。(一)ソークラテースの敎學及び(二)之れに對するプロータゴラスの知識論(三)エレア學派の實有論及び(四)之れに對するヘーラクライトスの流轉論是れなり。プラトーンはヘーラクライトスが所謂流轉變化の世界を自家の學說に取り入れて