Page:Onishihakushizenshu03.djvu/213

提供:Wikisource
このページは校正済みです

上の問題に面せざりしなり。彼れが斯かる遍通不易の知識を要すと見たるは其の道德上の確信より來たれりと謂ふべきならむ、そは其の如き知識なければ眞正の德行は成り立たず實際の行爲を正當になす能はずと見たれば也。道德上の必要これやがて彼れに取りてはかゝる知識の實に在り得べき理由なりしならむ。又彼れが神明の照覽を信じ善惡業に對する賞罰の過らざるを信ぜしも亦此の道德的確信に根據せりといふべし。要するにソークラテースの思想の窮極の根據及び動力は其が不動不拔の道德的確信にあり、彼れが一代の精神と事業とは一に此の確信を中心としたりし也。

《ソークラテースの希臘哲學上の位置。》〔十五〕道德の學理的硏究としてはソークラテースの說未だ甚だ精しからず。彼れの位置の希臘哲學史上に重き所以は道德論上及び知識論上一學說を立てたるにあらで其の攷學の精神及び其の方法を說けるにあり、是れ即ち希臘哲學の新生面を開く動力となりしもの也。言ひ換ふればソークラテースは纒まりたる一哲學を組織したるにあらで新眼孔を以て事物を硏究することを敎へたる也。其の後世に及ぼしゝ影響の偉大なる實にこゝに存す。隨うて彼れが影響を受けて出