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謂はるべけれども、彼れはまたソフィスト等の如く各人の主觀を以て個々相異なれるものとのみ見ずして、同じく主觀の作用といふものから人間の正當に其の思想を働かしめたるものは彼此相一致する所なかるべからずと考へたり。故に彼れが人間を見るやソフィスト等の如く好惡情慾など時により人により塲合によりて大に相異なるものによりて動かさるゝ方面よりせずして明瞭確實なる知識を以て行爲を整理する方面よりせり。眞知識は各人の主觀即ち其の思索の働きに懸かれども又人々相合すべきものと見たるが故に或史家はソークラテースの立脚地をソフィストのに比して遍通主觀と名づけたり、盖し主觀的にして而も遍通のものなるをいへる也。
《知識の新觀念、新理想。》〔四〕此くの如く個人によりて相違せざる知識は是れ即ち事物の遍通不易なる所を看取せるもの也。事物を知るとは何の謂ひぞ。其の遍通不易なる所を看取するの謂ひなり。個々物に通じてそをして其の物たらしむる所を看取せざれば未だ眞に之れを知れりといふ可からず。例へば勇を知るといはば唯だ一塲合の勇ましき行爲を知覺するに止まらず遍く勇といはるべきものに通じて變はら