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ざるもの即ち勇の勇たる所を知るを要す。斯く說きてソークラテースは知識の新觀念、新理想を立てたり。彼れが立てたる此の知識の新理想は希臘哲學の大動力となりそが一大進步の緣となれりし也。

《「汝自身を知れ。」》〔五〕吾人は果たしてかゝる知識を有するか。ソークラテースは自ら省みてかゝる智識を有せずと見たり、通常稱して知識といへるものの極めて漠然たるものなるを悟れり。吾人は知らずして知れりと思へり。是れ凡べての失敗と誤謬と混雜との淵源なり。吾人はまづ吾が無知を吿白し生まれ更はりて新知識的生活に發心せざるべからず。知識のはじめは先づ自己を知るにあり。自己が眞に如何ほどの事を知れるかを知らざる可からず。如何なる事柄も其の事柄に關する自己の知識、自己の能力の何なるかを知らずしては無謀の擧に出づべし。此の故にソークラテースは常に「汝自身を知れ」(γνῶθι σεαυτόν)といふを以て常に自ら戒めまた他を戒めたり。彼れは實に死に至るまで熱心に智識を追求したる人、彼れは終始攷學硏究の位置に立ちて渝はることなかりき。是れ彼れが學相の一特色なり。