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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/171

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達する通路によりて感覺の傳致さるゝことを說けり、是れ近世の所謂神經を豫想せる者にして彼れは之れを管と名づけたり)。然れどもピタゴラス學徒の說ける所多くは哲學的思索を混入したりしがヒッポクラテース(Ἱπποκράτης 四百六十年―三百七十七年)出でて醫術を哲學より引き離し之れを一の技術と見傲して其の硏究の面目を一新せり。又此の頃より生物學上の智識の如何に廣くなれりしかは曩に揭げたるデーモクリトスの學說に現はれたる所を見ても知らるべし。

《メリッソスの折衷說。》〔二〕大體はエレア學派の立脚地に在り而して通常其の學派の一人と見倣さるゝメリッソスの所說は幾分折衷說の趣を帶びたるものとしてこゝに叙述するを得べし。


メリッソス(Μέλισσος

彼れはサーモス島の人、西曆紀元前四百四十二年ペリクレースが彼の島に派遣したる艦隊を破り己が都邑の將軍幷びに政治家として名聲を輝かしたりしメリッソスと此の哲學者とは同人なるべし。