Page:Onishihakushizenshu03.djvu/160

提供:Wikisource
このページは校正済みです

そアナクサゴーラスは本來性質を相異にせる無數の種子ありとも說きたるなれ。然るにアトム論に於いては全く性質上の差別を容さずして、アトムは其の性體に於いて渾べて平等一如なりとす、然らばかゝるアトムの集結より如何にしてか性質上の差別を生ずる。デーモクリトスはこゝに主觀的說明を用ゐて色味寒熱をば只だ主觀上(即ち感覺上)に存するものとして之れを疎密、輕重、硬軟などの直接にアトムの集結の如何にかゝれる差別と相別かてり。かく色味寒熱等の差別を以て唯だ外物によりて起こさるゝ五官の狀態に懸かる(即ち主觀上にあるもの)と說きしはデーモクリトス獨得の見なりしか、はた其の由來せる所は彼れと同鄕の人にして彼れに先だちて出でたりしソフィストの泰斗たるプロータゴラスの主觀說にありしか。《*或史家は之れを否めど。》思ふにプロータゴラスの說に因由する所ありしは否むべからざるに似たり。(プロータゴラスに就いては後章を看よ。)

《アトムの運動。》〔六〕エムペドクレース、アナクサゴーラスは原素又種子以外に運動を起こすものの在ることを說きたれど、アトム論者は運動はアトム以外の物によりて起こると說かず、即ち彼等は運動をアトムそれ自身より離さずして考へたり。然れども