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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/126

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ファイロスなる狀態を說くは是れアリストテレースの已に指摘したるエムペドクレースが學說の自家撞著の點なりとす。

次ぎに又スファイロスと正反對なる狀態について見るも同樣の困難なき能はず。若し諸元素が全く離散し盡くさば是れ亦各元素がその特殊の性質を留めざるの狀態ならむ。若し假りに多少の分量を有する物ありて特殊の性質を保つとせばこれ未だ其の物の全く離散せずして其の間幾分の和合を存するなり。故に諸元素の全く離散するは其の極つひに其の全く和合すると侔しく毫末も特殊の點を留めざるに至らむ。然れども或史家の所見の如くエムペドクレースの謂ふ分離が唯だ異種の元素の分離ならば今云ふ困難はなかるべし、そは同種のものは和合すればなり、但しスファイロスに對する困難は尙ほ依然として存す。〈或史家はおもへらくエムペドクレースの謂へる所はスファイロスの狀態に於いても憎が全く其の跡を絕つにあらず又其の反對の狀態に於いても愛が全く打ち勝たるゝにあらず、唯だ比較上和合の最も進み又分離の最も進める狀態を指せるなりと。然れども果たしてエムペドクレースが斯く考へたるかは疑はし〉若し諸元素を全く相混和し又相離散し得るものとせばそを限りなく割かたるべきものと見ざるべからず。若し少量にても分割すべからざる體を有せばそを全く混合しまたは離散せるものといふ