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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/103

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に外ならず。故に彼れは性質上の變化を措いて專ら空間に於ける變動即ち運動のあるべからざる所以を論じたり。〈當時は性質上の變動即ち變化と空間上の變動即ち運動とは共に均しく動くといふ一語にて、言ひ表はしたれば之れを混同し易かりき。〉

先づ雜多を難ずるの論に曰はく(第一)若し雜多なるものあらばそは限りなく小なると同時に限りなく大なる者ならざるべからず。其の故如何にといふに相集まりて雜多を成せる一個のものの各〻は分量なき不可分のものならざる可からず、若し些にても分量あらばそは更に分かたれ得べきもの隨うて一個にはあらで數個物の相集まれるものなれば也。然るにかく分量なきものを他物に加ふるも之れを大ならしむる能はざるべく又そを他物より減ずるも之れを小ならしむる能はざるべし。而してかゝるものを如何ばかり集積するもそは竟に分量あるものとはならざるべし。然れば一個の相集まりて成る雜多は到底分量なきもの即ち限りなく小なるものならざる可からず。若し又一個を以て多少の分量あるものとせば其の中の一部分と他部分とは若干の距離を有せざるべからず。然るに吾人はその部分よりも尙ほ小にして而も尙ほ若干の分量あるものを考ふるを得べく