いふめれど、かの古の聖人どもゝ、實は是に異ならぬ物をや、後世の王の命ぞといふをば、信ぬものゝ、古人の天命をば、まことゝ心得をるは、いかなるまどひぞも、古は、天命ありて、後にはなきこそをかしけれ、或人、舜は堯が國をうばひ、禹も亦舜が國を奪へりしなりといへるも、さも有べきことぞ、後世の王莽曹操がたぐひも、うはべはゆづりを受て嗣つれども、實は簒へるを以て思へば、舜禹などもさぞありけむを、上代は朴にして、禪れりと云なせるを、まことゝ心得て、國內の人ども、みなあざむかれにけらし、かの莽操がころは、世人さかしくて、あざむかれざりし故に、惡きしわざのあらはれけむ、かれらが如くなる輩も、上代ならましかば、あはれ聖人と仰がれなましものを、
禍津日神の御心のあらびはしも、せむすべなく、いとも悲しきわざにぞありける、
世間に、物あしくそこなひなど、凡て何事も、正しき理のまゝにはえあらずて、邪なることも多かるは、皆此の神の御心にして、甚く荒び坐時は、天照大御神高木大神の大御力にも、制みかね賜ふをりもあれば、まして人の力には、いかにとも