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がいに国のことを議論しあうのはこのためです。

 日本には、この政党というものについて、まちがった考えがありました。それは、政党というものは、なんだか、国の中で、じぶんの意見をいいはっているいけないものだというような見方です。これはたいへんなまちがいです。民主主義のやりかたは、国の仕事について、国民が、おゝいに意見をはなしあってきめなければならないのですから、政党が争うのは、けっしてけんかではありません。民主主義でやれば、かならず政党というものができるのです。また、政党がいるのです。政党はいくつあってもよいのです。政党の数だけ、国民の意見が、大きく分かれていると思えばよいのです。ドイツやイタリアでは政党をむりに一つにまとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。その結果はどうなりましたか。国民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利がふみにじられ、とうとうおそろしい戦争をはじめるようになったではありませんか。

 国会の選挙のあるごとに、政党は、じぶんの団体から議員の候補者を出し、またじぶんの意見を国民に知らせて、国会でなるべくたくさんの議員をえようとします。衆議院は、参議院よりも大きな力をもっていますから、衆議院でいちばん多く議員を、じぶんの政党から出すことが必要です。それで衆議院の選挙は、政党にとっていちばん大事なことです。国民は、この政党の意見をよくしらべて、じぶんのよいと思う政党の候補者に投票すれは、じぶんの意見が、政党をとおして国会にとどくことになります。

 どの政党にもはいっていない人が、候補者になっていることもあります。国民は、このような候補者に投票することも、もちろん自由です。しかし政党には、きまった意見があり、それは国民に知らせてありますから、政党の候補者に投票をしておけば、その人が国会に出たときに、どういう意見をのべ、どういうふうにはたらくかということが、はっきりきまっています。もし政党の候補者でない人に投票したときは、その人が国会に出たとき、どういうようにはたらいてくれるかが、はっきりわからないふべんがあるのです。このようにして、選挙ごとに、衆議院に多くの議員をとった政党の意見で、国の仕事をやってゆくことになります。これは、いいかえれば、国民ぜんたいの中で、多いほうの意見で、国を治めてゆくことでもあります。