Page:NDL1142084 南支南洋研究調査報告書 第4輯 part1.pdf/30

提供:Wikisource
このページは校正済みです
冰淇淋(アイスクリーム)
雪膏(アイスクリーム)
自行車(自轉車)
單車(自轉車)

紙數の都合上、以上簡單に、腦裡に浮かび出たものを列擧して見たが、これ丈でも、如何に語詞上に大きな 差異が有るかを知るに充分であらう。特に之等が同じく漢字で表記されて居らず、若しローマナイズされたと したら、全く異れる二つの外國語であると想ひ込むも何等怪しむに足らぬであらう。

【六】廣東語テン化の二案——廣東語の表記問題——


傳道に渡來した宣敎師が、バイブルを飜譯するに當つて最も苦しんだ事は、それを如何なる文字に依つて表記する かの問題であつた。漢字は一部讀書人卽ち官吏の獨占物であつた支那では、文盲は信じ得ぬ樣なパーセンテーヂを占 めてゐた。之等の文盲に道を傳へる爲に、若しも漢字に依つて表記されたるバイブルを與へんとするならば、勢ひそ の前に、識字敎育を施さねばならない。而も文盲に屬する人々に、あの筆畫の難しい漢字を一々敎へて行く事は、少 くも數年の努力を必要とするであらう。斯ゝる時間的餘裕を見出す事は、宣敎師側にとつても、傳道の對象となるべ き一般文盲衆にとつても極めて困難な事であらねばならない。之が漢字に代るべき文字の考案を促した。厦門、福州、 汕頭等の土白に譯されたバイブルが羅馬字を以て記されてゐるのも此の現れである。支那語を羅馬字で表はさんとす る試みは、斯くして淸朝の末期に已にその芽生を見て居つた。(南邦經濟第十卷第一號拙文「支那に於ける國語運動」 の切音運動中に厦門の人盧戇ママが、宣敎師が羅馬字に依つて土語を表記し、バイブルを著してゐるのに啓示を得て、 苦心の結果『中國第一快切音新字』なる五十五箇の記號を發明し……は此の邊の事情を明かに物語つてゐるのであ らう)然し此の羅馬字表記法は、傳統と因襲の國支那に於いては、容易に漢字の地位を乘取る迄には至らず、その間 注音符號の制定(一九一八年)國語羅馬字の公布(一九二八年)等の劃期的な事は見られたが、改革に對し常に「換 湯不換藥」的な方法を尊重する支那に於いては、漢字に代るどころか漢字に從屬的なものに墮せしめて了つた。所が 之等御用的な考案と全く離れ、或一つの鮮明なる目標をもつて登場した「新文字」があつた。之が「中國拉丁文字」 であり、之を普及せんとする「拉丁化運動」であつた。中國拉丁文字の發祥は蘇聯であつた。蘇聯當局は一九一三年 に、在蘇聯華僑——或は漢民族と言つた方が適當であらう——の知識吸收用、共產主義宣傳の爲に考案したる「中國 拉丁文字」にその源を有するものである。此の考案は支那の文化人の間に物凄い反響を惹起した。此の案の魅力は何 に在つたか。① 難解なる漢字の桎梏から文盲を又自らをも脫せしめ得ると考へた事と、② その使用する文字は二 十六字にして、覺え易く、書き易く、發音し易い事、③ 各地の方言を許容したる事、④ 大衆語を表記するには決 して不自由せぬと考へられた事、⑤ 國際化せる現代術語を吸收し得る事、⑥ 又凡ゆる地名人名その他の固有名詞 は、完全に漢字音で表はされぬ不滿より免れる事、⑦ 支那語の國際化を計り得る事、等々が擧げられるであらう が、此の中①②は、文盲に文字を與へ、更に支那文化一般水準の提高に特に貢獻するところがあると考へられた。さ れば魯迅の如き者も、「門外談文」中に、

……若しも全國各處に赴き集めるならば、此の種類の作品(大衆的文學)は、恐らくまだ多い事であらう。だ が缺點がある。それは難しい文字、難しい文章の封鎖を受けて、現代の思想と隔絕してゐるのである。若しも支那 の文化が共に向上せんとするならば、是非とも、大衆語、大衆文を提唱せねばならない。而もその書法は必ず拉丁