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 ドイツ、殊にプロシャのブルジョアジーが、封建󠄄貴族および專制王政に對する戰鬪、すなはち自由主義運󠄃動が、次󠄄第に本物になつて來た。

 これによつて、いはゆる『眞󠄃正社󠄃會主義』は、多年要望󠄅してゐた好機會をつかみえて、その政治運󠄃動に社󠄃會主義的要求を對立させ、自由主義に對し、代議政體に對し、ブルジョアの自由競爭に對し、ブルジョアの言論自由に對し、ブルジョアの立法に對し、ブルジョアの自由平󠄃等に對して、その傳統的咒詛を投げつけ、そして民衆に向つては、彼らがこのブルジョア運󠄃動のために、得るところは一つもなく、失ふところは一切のものであるべきことを說法した。ドイツ社󠄃會主義は、このとき、自分󠄃が受賣りをしてゐるところのそのフランス批評󠄃が、近󠄃世ブルジョア社󠄃會の存在を前󠄃提とし、およびそれに隨伴󠄃する物質的生活條件と、それに適󠄃應する政治組織󠄂とを前󠄃提とするものであることを、折よくも忘れてゐたのである。すなはちその前󠄃提を獲得することが、ドイツでいま漸く