Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/351

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萬の事はたのむべからず。愚なる人はふかくものを賴むゆゑに、怨み怒ることあり。勢ありとて賴むべからず。こはきものまづ滅ぶ。財多しとて賴むべからず。時の間に失ひやすし。才ありとて賴むべからず、孔子も時に遇はず。德ありとて賴むべからず。顏回も不幸なりき。君の寵をも賴むべからず。誅をうくること速なり。奴したがへりとて賴むべからず。そむき走ることあり。人の志をも賴むべからず。かならず變ず。約をも賴むべからず。信あることすくなし。身をも人をも賴まざれば、是なる時はよろこび、非なるときはうらみず。左右廣ければさはらず、前後遠ければふさがらず、せばき時はひしげくだく。心を用ゐることすこしきにして、きびしき時は物にさかひ爭ひやぶる。ゆるくしてやはらかなるときは、一毛も損せず。人は天地の靈なり。天地はかぎるところなし。人の性なんぞことならむ。寬大にして窮らざるときは、喜怒これにさはらずして、物のためにわづらはず。

秋の月はかぎりなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて思ひわかざらむ人はむげに心うかるべきことなり。

御前の火爐に火をおくときは、火箸してはさむことなし。土器よりたゞちにうつすべし。さればころびおちぬやうに心えて、炭を積むべきなり。八幡の御幸〈みゆきカ〉に、供奉の人淨衣をきて、手にて炭をさゝれければ、ある有職の人、「白きものを着たる日は、火箸を用ゐるくるしからず」と申されけり。

想夫戀といふ樂は、女男を戀ふるゆゑの名にはあらず。もとは相府蓮、文字のかよへるなり。