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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/352

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晉の王儉、大臣として家に蓮を植ゑて愛せしときの樂なり、これより大臣を蓮府といふ。廻忽も廻鶻なり。廻鶻國とてえびすのこはき國あり。その夷漢に伏して後にきたりて、おのれが國の樂を奏せしなり。

平の宣時朝臣、老ののち、むかしがたりに「最明寺入道〈時賴〉あるよひの間によばるゝことありしに、やがてと申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、また使きたりて、直垂などのさふらはぬにや、夜なればことやうなりともとくとありしかば、なえたるひたゝれうちうちのまゝにてまかりたりしに、銚子にかはらけとりそへてもて出でゝ、この酒をひとりたうべむがさうざうしければ申しつるなり、肴こそなけれ、人はしづまりぬらむ、さりぬべきものやあるといづくまでも求めたまへとありしかば、しそくさしてくまぐまをもとめしほどに、臺所の棚に小土器に味噌の少しつきたるを見出でゝ、これぞ求め得てさふらふと申しゝかば、事足りなむとて、心よく數獻におよびて、興に入られはべりき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。

最明寺入道、鶴が岡の社參のついでに、足利左馬入道〈義氏〉のもとへまづ使を遣して、立ちいられたりけるに、あるじまうけられたりけるやう、一獻にうちあはび、二獻にえび、三獻にかいもちひにて止みぬ。その座には亭主夫婦、降辨僧正あるじの方の人にて座せられけり。「さて年ごとにたまはる足利の染物心もとなく候ふ」と申されければ、「用意しさふらふ」とていろいろのそめ物三十、前にて女房どもに小袖に調ぜさせて後につかはされけり。その時見たる人