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らぬ道のうらやましくおぼえば、「あなうらやまし。などかならはざりけむ」といひてありなむ。我が智をとり出でゝ人に爭ふは、角あるものゝ角をかたぶけ、牙あるものゝ牙をかみいだすたぐひなり。人としては善にほこらず、物と爭はざるを德とす。他にまさることのあるは大なる失なり。品のたかさにても、才藝のすぐれたるにても、先祖のほまれにても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でゝこそいはねども內心にそこばくのとがあり、謹みてこれをわするべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、わざはひをも招くはたゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづからあきらかにその非を知るゆゑに、志常にみたずして、つひにものにほこることなし。

年老いたる人の、一事すぐれたる才能ありて、「この人の後には誰にか問はむ」などいはゞ、老のかたうどにて生けるもいたづらならず。さはあれどそれもすたれたる所のなきは、一生この事にて暮れにけりと拙く見ゆ。今は忘れにけりといひてありなむ。大かたは知りたりとも、すゞろにいひちらすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづからあやまりもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」などいひたるは、なほまことに道のあるじともおぼえぬべし。ましてしらぬこと、したりがほに、おとなしくもどきぬべくもあらぬ人のいひきかするを、さもあらずと思ひながら、聞き居たるいとわびし。

「何事の式といふことは、後嵯峨の御代まではいはざりけるを、近き程よりいふことばなり」と人の申し侍りしに、建禮門院の右京大夫〈伊行女〉、後鳥羽院の御位の後、また內ずみしたること