Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/334

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ひ、おどろおどろしく聞えけるを、草刈るわらは聞きて人に吿げゝれば、村の男ども、おこりて入りて見るに、大鴈どもふためきあへる中に、法師まじりてうち伏せねぢ殺しければ、この法師をとらへて、所より使廳へ出したりけり。殺すところの鳥を頸にかけさせて、禁獄せられにけり。基俊大納言別當のときになむ侍りける。

太衝の太の字、點うつうたずといふこと、陰陽のともがら相論のことありけり。もりちか入道申し侍りしは、「吉平が自筆の古文の裏に書かれたる御記、近衞關白殿にあり。點うちたるを書きたり」と申しき。

世の人相逢ふ時、しばらくも默止することなし、かならずことばあり。そのことを聞くに、おほくは無益の談なり。世間の浮說、人の是非、自他のために失多く得すくなし。これをかたる時、たがひの心に無益のことなりといふことを知らず。

あづまの人の都の人にまじはり、みやこの人のあづまに行きて身をたて、また本寺本山をはなれぬる顯密の僧、すべてわが俗にあらずして人にまじはれる見ぐるし。

人間の營みあへるわざをみるに、春の日に雪佛をつくりて、そのために金銀珠玉のかざりをいとなみ、堂塔を建てむとするに似たり。そのかまへをまちてよく安置してむや。人の命ありと見るほども、下より消ゆること雪のごとくなるうちに、いとなみ待つこと甚おほし。

「道にたづさはる人、あらむ道のむしろにのぞみて、「あはれ我が道ならましかは、かくよそに見侍らじものを」といひ、心にも思へること常のことなれど、よにわろくおぼゆるなり。知