Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/320

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と思はゞ、更にあそびの興なかるべし。人にほ意なくおもはせて、わが心を慰まむこと德に背けり。むつまじき中にたはぶるゝも、人をはかり欺きて、おのれが智のまさりたることを興とす、これまた禮にあらず。さればはじめ興宴より起りて、長きうらみを結ぶ類おほし。これ皆あらそひを好む失なり。人にまさらむことを思はゞ、たゞ學問して、その智を人にまさらむと思ふべし。道を學ぶとならば、善にほこらず、ともがらに爭ふべからずといふことを知るべきゆゑなり。大なる職をも辭し、利を捨つるは、たゞ學問の力なり。

貧しきものは財をもて禮とし、老いたるものは力をもて禮とす。おのが分を知りて及ばざる時は速にやむを智といふべし。許さゞらむは人のあやまりなり。分を知らずして强ひて勵むはおのれがあやまりなり。貧しくて分を知らざればぬすみ、力衰へて分を知らざれば病をうく。

鳥羽のつくり道は、鳥羽殿建てられて後の號にはあらず、むかしよりの名なり。元良親王、元日奏賀の聲はなはだ殊勝にして、大極殿より鳥羽のつくり道まで聞えけるよし、李部王の記に侍るとかや。

「夜のおとゞは東御枕なり。大かた東を枕として、陽氣を受くべきゆゑに、孔子も東首し給へり。寢殿のしつらひ、或は南枕常のことなり。白川院は北首に御寢なりけり。北は忌むことなり。また伊勢は南なり。太神宮の御方を、御跡にせさせ給ふこといかゞ」と人申しけり。たゞし太神宮の遙拜は、たつみに向はせ給ふ。南にはあらず。