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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/296

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にや。

加茂の岩本橋本は、業平實方なり。人のつねにいひまがへ侍れば、一とせ參りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼びとゞめて尋ね侍りしに、「實方は御手洗に影のうつりける所と侍れば、橋本やなほ水の近ければとおぼえはべる。吉水和尙、

  月をめで花をながめしいにしへのやさしき人はこゝにあり原

とよみたまひけるは、岩本の社とこそうけたまはりおき侍れど、おのれらよりはなかなか御存じなどもこそさふらはめ」といとうやうやしくいひたりしこそいみじく覺えしか。今出川の院〈中宮嬉子〉の近衞とて、集どもにあまた入りたる人は、わかゝりける時、常に百首の歌をよみて、かの二つの社の御前の水にて書きてたむけられけり。まことにやんごとなきほまれありて、人の口にある歌おほし。作文詩序など、いみじくかく人なり。

筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなるものありけるが、土おほねをよろづにいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝやきてくひけること、年久しくなりぬ。ある時館のうちに人もなかりける隙をはかりて、敵おそひ來りてかこみ責めけるに、館のうちにつはもの二人いできて、命ををしまず戰ひて、皆追ひかへしてけり。いと不思議におぼえて、「日ごろこゝにものし給ふとも見ぬ人々の、戰ひしたまふはいかなる人ぞ」と問ひければ、「年來たのみて、あさなあさなめしつる土おほねらにさふらふ」といひて失せにけり。深く信をいたしぬれば、かゝる德もありけるにこそ。