Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/290

提供:Wikisource
このページは校正済みです

きもの老いたる母など、枕上により居て泣き悲しめども、聞くらむともおぼえず。かゝるほどにあるものゝいふやうに、「たとひ耳鼻こそきれうすとも、命ばかりはなどか生きざらむ。たゞ力をたてゝ引き給へ」とてわらのしべをまはりにさし入れて、かねをへだてゝ、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻はかけうけながらぬけにけり。からき命まうけて、久しくやみ居たりけり。

御室〈仁和寺〉にいみじきちごのありけるを、いかでさそひ出して遊ばむとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流のわりごやうのもの、ねんごろにいとなみ出でゝ、箱風情のものにしたゝめ入れて、雙の岡の便よき所にうづみおきて、紅葉ちらしかけなど、思ひよらぬさまにして、御所へ參りて、ちごをそゝのかし出でにけり。うれしく思ひて、こゝかしこ遊びめぐりて、ありつる苔の筵になみゐて、「いとうこそこうじにたれ。あはれ紅葉を燒かむ人もがな。しるしあらむ僧たち、いのり試みられよ」などいひしろひて、埋みつる木のもとに向ひて、數珠おしすり、印ことごとしくむすびいでなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつやものも見えず、所のたがひたるにやとて、堀らぬ所もなく山をあされどもなかりけり。埋みけるを人の見おきて、御所へ參りたる間に盜めるなりけり。法師どもこと葉なくて、聞きにくゝいさかひ腹だちて歸りにけり。あまりに興あらむとすることは、必あいなきものなり。

家のつくりやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にもすまる。あつき頃わろきすまひは