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所のありぬべきぞわびしきや。

ひとり燈のもとに文をひろげて、見ぬ人を友とするこそこよなう慰むわざなれ。文は文選のあはれなる卷々、白氏文集老子のことば、南華の篇、この國のはかせどもの書けるも、いにしへのはあはれなることおほかり。

和歌こそなほをかしきものなれ。あやしのしづやまがつのしわざも、いひ出づればおもしろく、おそろしき猪のしゝも、ふすゐの床といへばやさしくなりぬ。この頃の歌は、一ふしをかしくいひかなへたりと見ゆるはあれど、ふるき歌どものやうにいかにぞや。言葉の外にあはれにけしき覺ゆるはなし。貫之が、「絲によるものならなくに」といへるは、古今集の中のうたくづとかやいひ傅へたれど、今の世の人のよみぬべきことがらとは思えず。その世の歌にはすがたことばこの類のみおほし。この歌にかぎりてかくいひ立てられたるも知りがたし。源氏物語には、ものとはなしにとぞかける。新古今には、「のこる松さへ嶺にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに少しくだけたるすがたにもや見ゆらむ。されどこの歌も、衆議判の時よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じ、おほせ下されけるよし、家長が日記には書けり。歌の道のみいにしへに變らぬなどいふこともあれど、いざや、今もよみあへるおなじことば、歌枕も、むかしの人のよめるは更におなじものにあらず。やすくすなほにして、すがたも淸げにあはれも深くみゆ。梁塵秘抄の郢曲のことばこそまたあはれなる事はおほかめれ。むかしの人は、いかにいひ捨てたることぐさも皆いみじく聞ゆるにや。