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たり。あやしと思ふに、「明日は物忌なるを、門强くさゝせよ」などうちいひ散らす。いとあさましく、ものゝわくやうにおぼへ〈へ衍歟〉ゆるに「これさしよりかれ引きよせ念ぜよ念ぜよ」と耳おしそへつゝ、まねさゝめき或はせば、我が一人のおれものにて向ひ居たれば、むげにくんじ果てにたりと見えけむ。又の日も日暮しいふこと、「我が心の違はぬを人のあしう見なして」とのみあり。いといふかひもなし。五日の日は司召とて大將になどいとゞまさりていともめづらたし〈五字めでたしカ〉。それより後ぞ、少し屢見えたる。この大共うへ〈三字嘗會カ〉に、院の御給はかり申さむ。幼き人にかうぶりせさせてむ。十の日と定めてす。事ども例の如し。ひきいれに、源氏の大納言物し給へり。事はてゝ方ふたにけ〈二字がカ〉りにたれど、夜更けぬるをとてとゞまれり。かゝれども、こたみや限ならむと思ふ心になりにたり。九、十月も、同じさまにてすぐすめり。世には大上と〈大嘗會歟〉のごけお〈いカ〉とて騷ぐ。我も人も物見るさじきとて渡り見ればみこしのつら近くつらしとは思へど、目くれておぼゆるに、これかれやいでなほ人にすぐれ給へりかし。「あなあたらし」などもいふめり。聞くにもいとゞ物のみすべなし。』しもつきになりて、大まゑ〈二字嘗會歟〉とてのゝしるべき、その中には、少しま近く見ゆる心ちす。かうぶり故に、人も又あいなしと思ふ思ふ、わざもなく經て、とかくすれば、いと心あわたゞし。事はつる日、夜更けぬほどにものして、行幸に侍ひであがりぬべかりつれど、夜の更けぬべかりつれば、空胸やみてなむまかでぬる。いかに人いふらむ。明日はこれがきぬ着かへさせて出でむなどあれば、いさゝか昔の心ちしたり。「つとめて供にありかすべきをのこどもなど、まゐらざめるを、かしこにも