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網代のかたある所あり。

 「あじろぎに心をよせて日を經ればあまたの夜こそ旅寐してけれ」。

濱べにいざり火ともし釣舟などある所あり。

 「いざりびもあまのこ舟ものどけか〈しカ〉な生けるかひあるうらに來にけり」。

女車、紅葉見けるついでに、又紅葉多かりけり〈るカ〉人の家に來たり。

 「よろづよを野べのあたりに住む人はめぐるめぐるやあきを待つらむ」

などあぢきなく、あまたにさへ强ひなされて、これらが中にいざりびとむこどりて〈むらちどりイ〉とはとまりにけりと聞くに、ものしかう〈如元〉などしゐたるほどに、秋は暮れ冬になりぬれば、何事にあらねど事騷がしきこゝちしてありふる中、しも月に雪はいと深く積りて、いかなるにかありけむ、わりなく身心憂くつらく悲しく覺ゆる日あり。つくづくと詠むるに思ふやう、

 「降る雪につもる年をばよをへつゝ消えむごもなき身をぞ恨むる」

など思ふほどに晦の日〈二字すぎイ〉〈天祿元年〉のなかばにもなりにけり。人はめでたくつくりかゞやかしつる所に「明日なむこよ〈二字わたイ〉るなむ」とのゝしるなれど我は、思ひしもしるくかくてもあれかしになりにたるなめり、されば、ことにこ〈一字人々まゐイ〉りしかばなど思ひのべてある程に、三月十日のほどに、うちののりゆみのことありていみじくいとなむなり。をさなき人しりへの方にとられて出でにたり。かたかへ〈つカ〉物ならばその方の舞もすべしとあれば、このし〈こカ〉ろは萬忘れてこの事を急ぐ。舞ならはすとて日々に樂をしのゝしる。射手射につきて賭物とりてまかでた