Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/52

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なとぞ覺ゆる。これかれぞ殿上などもせねばけがらひも一つにしなしためれば、己がじゝひきつぼねなどしつゝあめるなかに我をのみぞまさる〈る脫歟〉ことなくてよはねぶつの聲聞きはじむるより、やがて泣きのみあかさる。四十九日のこと誰も闕く事なくて家にてぞする。我が知る人大かたの事を行ひためれば人々多くさしあひたり。我が志をば佛をば書かせたる。その日過ぎぬればみなおのがじゝいきあかれぬ。まして我が心ちは心細うなりまさりていとゞやる方なく、人はかう心細げなるを思ひてありしよりは繁う通ふ。さて寺へものせし時、

 「はちす葉の玉となるらむむすぶにもそでぬれまさるけさのつゆかな」

と書きてやりつ。又この袈裟の〈ぬしのイ有〉この〈か脫歟〉みも法師にてあれば祈りなどもつけて賴もしかりつるを、にこり〈はかカ〉に又かくなりぬと聞くにも、このはらからの心ちいかならむ。われもいと口をし。賴みつる人のかうのみなど思ひ亂るれば屢とぶらふ。さるべきやうにありて雲林院に侍ひし人なり。四十九日などはてゝかくいひやる、

 「思ひきや雲の林にうち捨てゝそらのけぶりにたゝむものとは」

などなむおのが心ちのわびしきまゝに野にも山にもかゝりける。はかなながらかう秋冬もすごしつ。一つところにはせうと一人伯母とおぼしき人ぞ住む。それを親のごと思ひてあれど、猶昔を戀ひつゝ泣きあかしてある所に、年かへりて〈康保二年〉春夏も過ぎぬれば、今ははての事すとてこたびばかりはかのありし山寺にてぞする。ありし事ども思ひ出づるにいとゞいみじう哀に悲し。導師のはじめにてうつたへに秋のやまべを尋ぬ給ふにはあらざりける。まな