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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/51

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へど、生くる人ぞいとつらきや。』かくて十よ日になりぬ。そうどもねぶつのひまに物語するを聞けば、「このなくなりぬる人のあらはに見ゆる所なむある。さて近くよれば消え失せぬなり。遠うては見ゆなり。いづれの國とかやみえくち〈みゝらくカ〉の島となむいふなる」など口々語るを聞くに、いと知らまほしう悲しう覺えてかくぞいはるゝ、

 「ありとだによそにても見む名にしおはゞわれかぎり〈にきかイ〉せよ耳くら〈らくイ〉の山〈島イ〉

といふをせうと〈長能〉なる人聞きて、それもなくなく、

 「いづことか音にのみ聞くみゝくらの島がくれにし人をたづねむ」。

かくてあるほどに立ちながらものして人に問ふめれど、唯今は何心もなきに、〈な脫歟〉からひの心もとなき事おぼつかなき事などむつかしきまで書きつゞけてあれど、物覺えざりしほどの事なればにや、誠にいそがねど〈の事以下十四字流布本無〉心にしまかせねば今日皆出で立つ日になりぬ。こし時は膝に臥し給へり〈しイ有〉人をいかでなりぬこしか〈六字イ無〉安らかにと思ひつゝわがみはあせになりつゝさりともと思ふ心添ひてたのもしかりき。に〈こカ〉たみはいとやすらかにてあさましきまでくつろかにのこ〈ら歟〉れたるにも道すがらいみじう悲し。おりて見るにもさらにも覺えず悲し。諸共に出でゐつゝつくろはせて草などもわづらひしより初めてうち捨てたりければ、生ひこりていろいろに咲き亂れたり。わざとの事なども皆おの〈が脫歟〉とりどりすれば我はたゞつれづれとながめをのみして「一むらすゝきむしの音の」とのみぞいはるゝ。

 「手ふれねと花はさかりになりにけりとゞめおきける露に〈のカ〉かゝりて」