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 「白川の關のせけばやこまうくてあまたの日をばひき渡りつる」。

あさてばかりは逢坂とぞある。時は七月五日のこと、ながき物忌にさし籠りたるほどに、かくありしかへりごとには、

 「天の河七日を契るこゝろあらばほしあひばかりのかげを見よとや」。

ことはか〈二字わカ〉りにもや思ひけむ〈天德四年〉。すこし心をとめたるやうにて月頃〈應和元年〉になり行く。』めざましと思ひし所〈兼家妾〉は今は天下のあざをし騷ぐと聞けば〈以下迄いみあれば流布本無〉心安し。むかしよりの事をばいかゞはせむ。堪へがたくとも、我が宿世の怠にこそあめれなど心をちゞに思ひなしつゝあり經るほどに、少納言の年經て、よつのしなになりぬれば、殿上もおりて、つかさめしにいとねぢけたるをのゝ大輔などゝいはれぬれば、世の中をいとうとましげにて、こゝかしこ通ふより外のありきなどもなければ、いとのどかにて二三日などあり。さてかく心もゆかぬつかさのかみの宮よりかくのたまへり、

 「みだれ糸のつかさ一つになりてしもくる事のなど絕えにたるらむ」。

御かへり、

 「絕ゆといへばいとぞ悲しき君により同じつかさにくるかひもなく」。

又立ちかへり、

 「夏引のいとことわりやふためみめよりありくまに程の經るかも」。

御かへり