Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/389

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ばいかに耻しと惑はむ。みづからは苦しからぬ事と知りながら、いみじうわび歎きたるさまの心苦しさを、つき人のしり人などはらうたく覺えて、几帳のもと近く居てきぬひきつくろひなどする程に、よろしとて御湯などきたおもてに取り次ぐ程をも、わかき人々は心もとなし。盤も引きさげながらいそいでくるや。ひとへなど淸げに薄色の裳など萎えかゝりてはあらずいと淸げなり。さるの時にぞいみじうことわり言はせなどして許しつ。几帳の內にとこそ思ひつれ、あさましうも出でにけるかな、いかなる事ありつらむと耻かしがりて髮を振りかけてすべり入りぬれば、しばしとゞめて加持少しして「いかにさわやかになり給へりや」とてうち笑みたるも耻しげなり。「暫し侍ふべきを、時のほどにもなり侍りぬべければ」とまかり申して出づるを「しばしはうちはうたうまゐらせむ」などとゞむるを、いみじう急げば、所につけたる上臈とおぼしき人、すのもとにゐざり出でゝ「いと嬉しく立ちよらせ給へりつるしるしに、いと堪へ難く思ひ給へられつるを、唯今をこたるやうに侍れば、返す、返すなむ悅び聞えさする。明日も御いとまの隙には物せさせ給へ」などいひつゝ「いとしうねき御ものゝけに侍るめるを、たゆませ給はざらむなむよく侍るべき。よろしく物せさせ給ふなるをなむよろこび申し侍る」と詞すくなにて出づるはいとたふときに、佛の現れ給へるとこそおぼゆれ。

淸げなるわらはの髮ながき。又おほきやかなるが髭生ひたれど思はずに髮麗しき。又したゝかにむくつけゞなるなど多くて、いとなげにて此所彼所はやんごとなきおぼえあるこそ法