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雪いと高く降りたるを例ならず御格子まゐらせて、す櫃に火起して物語などして集まり侍ふに「少納言よ香爐峰の雪はいかならむ」と仰せられければ、御格子あげさせて、御簾高く卷き上げたれば、笑はせたまふ。人々も皆さる事は知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。「なほこの宮の人にはさるべきなめり」といふ。

陰陽師の許なる童べこそいみじく物は知りたれ。はらへなどしに出でたれば、祭文など讀む事、人はなほこそ聞け。そと立ちはしりて「白き水いかけさせよ」ともいはぬに、しありくさまの例知り、聊しうに物いはせぬこそ羨しけれ。さらむ人をがなつかはむとこそおぼゆれ。三月ばかり物忌しにとてかりそめなる人の家にいきたれば、木どもなどはかばかしからぬ中に、柳といひて例のやうになまめかしくはあらで、葉廣う見えてにくげなるを「あらぬものなめり」といへば「かゝるもあり」などいふに、

 「さかしらに柳のまゆのひろごりて春のおもてをふするやどかな」

とこそ見えしか。そのころ又同じ物忌しに、さやうの所に出でたるに二日といふ晝つかた、いとゞつれづれまさりて、唯今も參りぬべき心ちする程にしも仰せ事あれば、いとうれしくて見る。淺綠の紙に、宰相の君いとをかしく書き給へり、

 「いかにしてすぎにしかたを過ぐしけむくらしわづらふ昨日けふかな

となむ」、わたくしには「今日しも千年の心ちするを曉だに疾く」とあり。この君の給はむだにをかしかるべきを、まして仰事のさまには愚ならぬ心ちすれど啓せむ事とは覺えぬこそ。