Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/373

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をかしうもありなむ。雪こそいとめでたけれ。「忘れめや」など獨ごちて忍びたることは更なり。いとさあらぬ所も直衣などは更にもいはず、狩衣、うへのきぬ、藏人の靑いろなどのいとひやゝかにぬれたらむは、いみじうをかしかるべし。ろうさうなりとも雪にだにぬれなばにくかるまじ。昔の藏人はよるなど人の許などに、唯靑色を着て雨にぬれてもしぼりなどしけるが、今は晝だに着ざめり。唯ろうさうをのみこそうちかづきためれ。衞府などの着たるはましていとをかしかりしものを、かく聞きて雨にありかぬ人やはあらむずらむ。月のいとあかき夜、紅の紙のいみじう赤きに「唯あらず」とも書きたるを廂にさし入れたるを、月にあてゝ見しこそをかしかりしか。雨降らむ折はさはありなむや。

常に文おこする人の「何かは、今はいふかひなし。今は」など言ひて又の日音もせねばさすがにあけたてば文の見えぬこそさうざうしけれと思ひて「さてもきはきはしかりける心かな」などいひて暮しつ。又の日雨いたう降る。晝まで音もせねば「むげに思ひ絕えにけり」などいひて端の方に居たる夕暮にかささしたる童の持てきたるを、常よりも疾くあけて見れば「水ます雨の」とある、いと多く讀み出しつる歌どもよりはをかし。唯あしたはさしもあらず、さえつる空のいと暗うかき曇りて雪のかきくらし降るにいと心細く見出す程もなく白く積りて猶いみじう降るに、隨身だちて細やかに美々しきをのこのからかささして、そばの方なる家の戶より入りて文をさし入れたるこそをかしけれ。いと白きみちのくに紙、白き色紙の結べたる上にひき渡しける墨のふと氷りにければ、裾薄になりたるを、あけたればいと細く卷