Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/357

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りよるもおはします。君達などおはすれば御前人すくなく侍はねばいとよし。內の御使日々に參る。御前の櫻色はまさらで日などにあたりて凋みわるうなるだにわびしきに、雨のよる降りたるつとめていみじうむとくなり。いと疾く起きて「泣きて別れむ顏に心おとりこそすれ」といふに聞かせ給ひて「げに雨のけはひしつるぞかし。いかならむ」とて驚かせ給ふに、殿の御方より侍の者どもげすなど來て、あまた花の本に唯よりによりて、引き倒し取りてみそかにいきて、「まだ暗からむに取れとこそ仰せられつれ。明け過ぎにけり。ふびんなるわざかな。とくとく」と倒し取るに、いとをかしくていはゞいはなむと、兼澄が事を思ひたるにやともよき人ならばいはまほしけれど「かの花盜む人はたれぞ。あしかめり」といへば、笑ひていとゞ逃げて引きもていぬ。猶殿の御心はをかしうおはすかし。くきどもにぬれまろかれつきていかに見るかひなからましと見て入りぬ。かもんづかさ參りて御格子まゐり、とのもりの女官御きよめまゐりはてゝ起きさせ給へるに花のなければ「あなあさまし。かの花はいづちいにける」と仰せらる。「あかつき盜人ありといふなりつるは、猶枝などを少し折るにやとこそ聞きつれ。たがしつるぞ。見つや」と仰せらる。「さも侍らず。いまだ暗くてよくも見侍らざりつるを、しろみたたるものゝ侍れば、花を折るにやとうしろめたさに申し侍りつる」と申す。「さりとも、かくはいかで取らむ。殿の隱させ給へるなめり」とて笑はせ給へば「いでよも侍らじ。春風のして侍りなむ」と啓するを「かく言はむとて隱すなりけり。ぬすみにはあらでふりにこそふるなりつれ」と仰せらるゝも珍しき事ならねど、いみじうめでたき。殿おはし