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人のいみじくおぼつかなくいかならむと思ふに、文を見れば唯今さし向ひたるやうにおぼゆるいみじきことなりかし。我が思ふことを書き遣りつれば、あしこまでも行きつかざるらめど、こゝろゆく心ちこそすれ。文といふ事なからましかばいかにいぶせくくれふたがる心ちせまし。萬の事思ひ思ひてその人の許へとて、こまごまと書きて置きつれば、おぼつかなさをも慰む心ちするに、まして返事見つれば命を延ぶべかめる、げにことわりや。
うまやは
梨原、ひくれのうまや、望月の驛、野口の驛、やまの驛。
あはれなることを聞き置きたりしに、又あはれなる事のありしかば、猶取りあつめてあはれなり。
岡は
船岡、片岡。鞆岡は笹の生ひたるがをかしきなり。かたらひの岡、人見の岡。
やしろは
ふるの社、いくたの社、龍田の社、はなふちの社、みくりの社。すぎの御社しるしあらむとをかし。ことのまゝの明神いとたのもし。さのみ聞きけむとやいはれ給はむと思ふぞいとをかしき。蟻どほしの明神、貫之が馬の惱ひけるにこの明神のやませ給ふとて歌よみて奉りけむに、やめ給ひけむいとをかし。この蟻とほしとつけたるこゝろは、まことにやあらむ。昔おはしましけるみかどの唯若き人をのみおぼしめして、四十になりぬるをばうしなはせ給ひけ