Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/323

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てせうそこなどするこそをかしけれ。所もなく立ち重なりたるに、よき所の御車人だまひ引きつゞきて多くくるを、いづくに立たむと見るほどに、御前ども唯おりにおりて、立てる車どもを唯のけにのけさせて人だまひつゞきて立てるこそいとめでたけれ。逐ひのけられたるえせ車ども牛かけて所あるかたにゆるがしもて行くなどいとわびしげなり。きらきらしきなどをばえさしも推しひしがずがし。いと淸げなれど又ひなびあやしく、げすも絕えず呼びよせ、ちご出しすゑなどするもあるぞかし。

「ほそ殿にびんなき人なむ曉にかささゝせて出でける」といひ出でたるをよく聞けば我が上なりけり。地下などいひてもめやすく人に許されぬばかりの人にもあらざめるを、あやしの事やと思ふ程に、うへより御文もて來て「返り事唯今」と仰せられたり。何事にかと思ひて見れば、大かさのかたをかきて人は見えず、唯手のかぎりかさをとらへさせて、下に

 「三笠山やまのはあけしあしたより」

とかゝせ給へり。猶はかなき事にてもめでたくのみおぼえさせ給ふに、耻しく心づきなき事はいかで御覽ぜられじと思ふに、さるそらごとなどの出でくるこそ苦しけれどをかしうてこと紙に雨をいみじう降らせて、しもに、

 「雨ならぬ名のふりにけるかな。

さてやぬれぎぬには侍らむ」と啓したれば、右近、內侍などにかたらせ給ひてわらはせ給ひけり。