Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/310

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しとも思ひたらず聞え返し、空言などの給ひかくるをあらがひ論じなど聞ゆるは、目もあやに淺ましきまであいなく面ぞ赤むや。御くだもの參りなどして御前にも參らせ給ふ。「御几帳のうしろなるは誰ぞ」と問ひ給ふなるべし。さぞと申すにこそあらめ、立ちて坐するを、外へにやあらむと思ふに、いと近う居給ひて物などのたまふ。まだ參らざりし時聞き置き給ひける事などのたまふ。「まことにさありし」などのたまふに、御几帳隔てゝよそに見やり奉るだに耻しかりつるを、いとあさましうさし向ひ聞えたる心ちうつゝともおぼえず。行幸など見るに、車のかたにいさゝか見おこせ給ふは下簾ひきつくろひ、すきかげもやと扇をさし隱す。猶いと我が心ながらもおほけなく、いかで立ち出でにしぞと汗あえていみじきに何事をか聞えむ、かしこきかげと捧げたる扇をさへ取り給へるに振りかくべき髮のあやしささへ思ふに、すべて誠にさる氣色やつきてこそ見ゆらめ。疾く立ち給へなど思へど扇を手まさぐりにして「繪は誰が書きたるぞ」などのたまひて、とみにも立ち給はねば、袖をおしあてゝうつぶし居たるも、からぎぬにしろいものうつりてまだらにならむかし。久しう居給ひたりつるをろんなう苦しと思ふらむと心得させ給へるにや、「これ見給へ。此はたが書きたるぞ」と聞えさせ給ふを、嬉しと思ふに「賜ひて見侍らむ」と申し給へば「猶こゝへ」とのたまはすれば、「人をとらへてたて侍らぬなり」とのたまふ。いといまめかしう、身のほど年には合はず、かたはらいたし。人のさうがな書きたる草紙取り出でゝ御覽ず。「誰がにかあらむ、かれに見せさせ給へ。それぞ世にある人の手は見知りて侍らむ」と、あやしき事どもをたゞいらへさ