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御社の一の橋のもとにあなるを聞けば、ゆゝしうせちに物おもひいれじと思へど、猶このめでたき事をこそ更にえ思ひすつまじけれ。
八幡の臨時の祭の名殘こそいとつれづれなれ。「などてかへりて又舞ふわざをせざりけむ。さらばをかしからまし。祿を得てうしろよりまかづるこそ口をしけれ」などいふを、うへの御まへに聞しめして「明日かへりたらむめして舞はせむ」など仰せらるゝ。「まことにやさふらふらむ。さらばいかにめでたからむ」など申す。うれしがりて、宮の御まへにも「猶それまはせさせ給へ」と集りて申しまどひしかば、そのたびかへりて舞ひしは、嬉しかりしものかな。さしもやあらざらむとうちたゆみつるに、舞ひ人前に召すを聞きつけたる心ち物にあたるばかり騷ぐもいと物ぐるほしく、しもにある人々惑ひのぼるさまこそ、人のずさ、殿上人などの見るらむも知らず、もをかしらにうちかづきてのぼるを笑ふもことわりなり。
故殿〈道隆〉などおはしまさで、世の中に事出でき、物さわがしくなりて宮〈定子〉又うちにもいらせ給はず、小二條といふ所におはしますに、何ともなくうたてありしかば、久しう里に居たり。御まへ渡りおぼつかなさにぞ猶えかくてはあるまじかりける。左中將おはして物語し給ふ。「今日は宮に參りたればいみじく物こそ哀なりつれ。女ばうのさうぞく、裳唐ぎぬなどの折にあひ、たゆまずをかしうても侍ふかな。みすのそばのあきたるより見入れつれば、八九人ばかり居て黃朽葉の唐ぎぬ、薄色の裳、紫をん、萩などをかしう居なみたるかな。御前の草のいと高きを、などか此は茂りて侍る、はらはせてこそといひつれば、露おかせて御覽ぜむとて殊