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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/267

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使にまゐりて歸り〈二字きイ〉たるに「院の殿上人は誰々かありつる」と人のとへば「それかれ」など四五人ばかりいふに「又は」と問へば、「さてはいぬる人どもぞありつる」といふを、また笑ふも又あやしき事にこそはあらめ。人まに寄りきて「わが君こそまづ物きこえむ。まづまづ人のの給へることぞ」といへば、「何事にか」とて几帳のもとによりたれば、「むくろこめによりたまへ」といふを「五たいごめにとなむいひつる」といひてまたわらふ。ぢもくの中の夜さしあぶらするに、とうだいのうちしきをふみて立てるに、新しきゆたんなればつようとらへられにけり。さし步みてかへればやがてとうだいはたふれぬ。したうづはうちしきにつきてゆくに、まことに道こそしんどうしたりしか。頭つき給はぬ程は殿上のだいばんに人もつかず。それにまさひろは豆一もりを取りて、こさうじのうしろにてやをらくひければ、ひきあらはして笑はるゝことぞかぎりなきや。

     關は

逢坂の關、須磨の關、鈴鹿の關、くきだの關、白川の關、衣の關。たゞこえの關ははゞかりの關とたとしへなくこそ覺ゆれ。よこばしりの關、淸見が關、みるめの關。よしなよしなの關こそいかに思ひかへしたるならむと、いと知らまほしけれ。それをなこその關とはいふにやあらむ。逢坂などをまで思ひ返したらばわびしからむかし。足柄の關。

     森は

おほあらぎの森、しのびの森、こゝひの森、こがらしの森、しのだの森、いくたの森、うつきの