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 「そらさむみ花にまがへてちるゆきに」

とわなゝくわなゝく書きてとらせていかゞ見たまふらむと思ふもわびし。これが事を聞かばやと思ふにそしられたらばきかじと覺ゆるを、「としかたの中將などなほ內侍に申してなさむと定めたまひし」とばかりぞ、兵衞の佐中將にておはせしがかたりたまひし。

     はるかなるもの

千日のさうじはじむる日。はんびのをひねりはじむる日。みちの國へゆく人の逢坂の關こゆるほど。うまれたるちごのおとなになるほど。大般若經御どぎやう一人して讀み始むる。十二年の山ごもりの始りてのぼる日。

まさひろ〈方弘〉はいみじく人に笑はるゝものかな。親などいかに聞くらむ。ともにありくものどもいと人々しきを呼びよせて「なにしにかゝるものにはつかはるゝぞ。いかゞ覺ゆる」など笑ふ。物いとよくするあたりにて下がさねの色、うへのきぬなども人よりはよくて着たるを「これはことびとに着せばや」などいふに、げにぞ詞づかひなどのあやしき。里にとのゐものとりにやるに「男二人まかれ」といふに「一人して取りにまかりなむものを」といふに、「あやしの男や。一人して二人のものをばいかでもつべきぞ。ひとますがめに二ますは入るや」といふを、なでふ事と知る人はなけれどいみじう笑ふ。人の使のきて「御返り事とく」といふを「あなにくの男や。かまどにまめやくべたる。この殿上の墨筆は何ものゝ盜みかくしたるぞ。いひさけならばこそほしうして人の盜まめ」といふを又わらふ。女院〈一條院母〉なやませ給ふとて御