Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/260

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さし出したるを、常よりも遠く押し遣りて居たれば、「あれは誰がれうぞ」といへば笑ひて、「かゝる雨にのぼり侍らばあしがたつきていとふびんにきたなげになり侍りなむ」と言へば「など。せんぞくれうにこそはならめ」といふを、「これは御まへにかしこう仰せらるゝにはあらず。のぶつねがあしがたの事を申さゞらましかば、えのたまはざらまし」とてかへすがへすいひしこそをかしかりしか。あまりなる御身ぼめかなとかたはらいたく。

はやうおほきさいのみや〈安子〉にゑぬたきといひて名高きしもづかへなむありける。美濃の守にて亡せにける藤原の時柄、藏人なりける時、下づかへどもある所に立ち寄りて「これやこの高名のゑぬたきなどさも見えぬ」と言ひける返事に、「それはときからもさも見ゆる名なり」といひたりけるなむ、かたきにえりてもいかでかさる事はあらむ。殿上人上達部までも興ある事にのたまひける。「又さりけるなめりと今までかく言ひ傳ふるは」と聞えたり。「それ又時からがいはせたるなり。すべて題出しかうなむふみも歌もかしこき」といへば、「げにさる事あることなり。さらば題出さむ。歌よみ給へ」といふに、「いとよき事。ひとつはなにせむ。同じうはあまたをつかうまつらむ」などいふほどに、御題は出でぬれば、「あなおそろし。まかりいでぬ」とて立ちぬ。手もいみじう、まなもかんなもあしう書くを、人も笑ひなどすれば「かくしてなむある」といふもをかし。

つくもどころの別當する頃、たれがもとにやりけるにかあらむ、物の繪やうやるとて「これがやうに仕るべし」と書きたるまんなのやう、もじの世にしらずあやしきを見つけて、それ