Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/250

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すれば、笑はせ給ひて「我は知りたりや」となむ仰せらるゝと傳ふるもをかし。

御めのとのたいふの、けふひうがへくだるに賜はする扇どものなかに、片つかたには日いとはなやかにさし出でゝ、旅人のある所井手の中將のたちなどいふさまいとをかしう書きて、今片つかたには京のかた雨いみじう降りたるに、ながめたる人などかきたるに、

 「あかねさす日にむかひても思ひいでよ都は晴れぬながめすらむと」。

ことばに御手づから書かせ給ひし、あはれなりき。さる君をおき奉りて遠くこそえいくまじけれ。

     ねたきもの

これよりやるも、人のいひたる返しも、書きて遣りつるのち、文字一つ二つなど思ひなほしたる。とみのものぬふに縫ひはてつと思ひて針をひき拔きたれば、はやうしりを結ばざりける。又かへさまに縫ひたるもいとねたし。

南の院〈道隆邸〉におはしますころ、西の對に殿〈道隆〉のおはしますかたに、宮〈定子〉もおはしませば、しんでんに集り居て、さうざうしければふれあそびをし、わたどのに集りゐなどしてあるに、「これ唯今とみのものなり。誰も誰も集りて時かはさず縫ひて參らせよ」とてひらぬきの御ぞを給はせたれば、みなみおもてに集り居て御ぞかたみづゝ、誰かとく縫ひ出づるといどみつゝ、近くも對はず、縫ふさまもいと物ぐるほし。命婦の乳母いととく縫ひはてゝうち置きつる、ゆだけのかたの御身を縫ひつるがそむきざまなるを見つけず、とぢめもしあへず惑ひ置き