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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/235

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かうかたみにうしろみかたらひなどする中に、何ごとともなくて少し中あしくなりたる頃文おこせたり。「びんなき事侍るとも、契り聞えし事は捨て給はでよそにてもさぞなどは見給へ」といひたり。常にいふ事は「おのれをおぼさむ人は歌などよみてえさすまじき。すべてあだかたきとなむ思ふべき。今はかぎりありて絕えなむと思はむ時、さる事はいへ」といひしかば、この返しに、

 「くづれよる妹脊の山のなかなればさらによし野の川とだに見じ」

といひ遣りたりしも、まことに見ずやなりにけむ、かへりごともせず。さてかうぶり得て、とほたあふみのすけなどいひしかば、にくゝしてこそやみにしか。

     物のあはれ知らせがほなるもの

はなたるまもなくかみてものいふ聲。まゆぬく。

さてその左衞門の陣にいきてのち、里に出でゝしばしあるに「とく參れ」など仰せ事のはしに、左衞門の陣へいきし朝ぼらけなむ常におぼし出でらるゝ。「いかでさつれなくうちふりてありしならむ。いみじくめでたからむとこそ思ひたりしか」など仰せられたる御かへりごとに、かしこまりのよし申して「わたくしにはいかでかめでたしと思ひ侍らざらむ。御前にもさりとも中なる少女はおぼしめし御覽じけむとなむ思ひ給へし」と聞えさせたれば、たち歸り「いみじく思ふべかめるなり。たがおもてぶせなる事をばいかでかけはしたるぞ。唯今宵のうちによろづの事をすてゝ參られよ。さらずばいみじくににくませ給はむとなむ仰せ事