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「何かは。きんなども天人おるばかりひきていとわろき人なり。みかどの御むすめやはえたる」といへば、なかたゞがかた人と心を得て、「さればよ」などいふに、「この事どもよりは、ひるたゞのぶが參りたりつるを見ましかば、いかにめで惑はましとこそ覺ゆれ」と仰せらるゝに、人々「さてまことに常よりもあらまほしう」などいふ。「まづその事こそ啓せむと思ひて參り侍りつるに、物語の事にまぎれて」とてありつる事を語り聞えさすれば「たれもたれも見つれどいとかく縫ひたるいとはりめまでやは見とほしつる」とて笑ふ。「西の京といふ所の荒れたりつる事、もろともに見る人あらましかばとなむおぼえつる。垣ども皆やぶれて苔おひて」など語りつれば、宰相の君の「かはらの松はありつや」といらへたりつるを、いみじうめでゝ「西のかた都門を去れることいくばくの地ぞ」と口ずさびにしつる事などかしがましきまでいひしこそをかしかりしか。

里にまかでたるに、殿上人などのくるも安からずぞ人々いひなすなる。いとあまり心に引きいりたるおぼえはたなければ、さ言はむ人もにくからず。又よるも晝もくる人をば何かはなしなどもかゝやきかへさむ。まことに睦しくなどあらぬもさこそはくめれ。あまりうるさくもげにあればこのたび出でたる所をばいづくともなべてには知らせず。つねふさ、なりまさの君などばかりぞ知り給へる。左衞門のぞうのりみつが來て物語などするついでに、「きのふも宰相中將殿〈齊濟〉の、妹〈淸少〉のありどころさりとも知らぬやうあらじといみじう問ひ給ひしに更に知らぬよし申しゝに、あやにくに强ひ給ひし事などいひてある事あらがふはいとわび