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頭中將〈齊濟〉そゞろなるそらごとをきゝていみじういひおとし、何しに人と思ひけむなど殿上にてもいみじくなむのたまふと聞くに、はづかしけれど、「まことならばこそあらめ、おのづから聞きなほし給ひてむ」など笑ひてあるに、黑戶のかたへなど渡るにも聲などする折は袖をふたぎてつゆ見おこせず、いみじうにくみ給ふをとかくもいはず見もいれで過ぐす。二月つごもりがた雨いみじう降りてつれづれなるに、御物いみにこもりて「さすがにさうざうしくこそあれ、物やいひにやらましとなむのたまふ」と人々語れど「よにあらじjなどいらへてあるに、一日しもに暮して參りたればよるのおとゞに入らせ給ひにけり。なげしのしもに火近く取りよせてさしつどひてへんをぞつく。「あなうれしや。とくおはせ」など見つけていへどすさまじき心ちして何しにのぼりつらむとおぼえて、すびつのもとに居たれば、又そこにあつまり居て物などいふに、「なにがしさふらふ」といと華やかにいふ。「あやしくいつのまに何事のあるぞ」と問はすれば「とのもりづかさなり。唯こゝに人づてならで申すべき事なむ」といへばさし出でゝ問ふに「これ頭中將殿の奉らせ給ふ。御かへりとく」といふに、いみじくにくみ給ふを、いかなる御文ならむと思へど、唯今急ぎ見るべきにあらねば「いね。今きこえむ」とてふところにひき入れて入りぬ。猶人の物いふきゝなどするに、すなはち立ち歸りて「さらばそのありつる文をたまはりてことなむ仰せられつる。とくとく」といふに「あやしく伊勢の物語なるや」とて見れば、靑きうすえふにいと淸げに書き給へるを心ときめきしつるさまにもあらざりけり。「らんしやうの花の時きんちやうのもと」と書きて「末はいかにいか