Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/144

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などいふほどに、行ひのほども過ぎぬ。忍びたる方にいざとさそふ人もあり。何かはとてものしたれば、人おほう詣でたり。誰としるべきにもあらなくに、我一人苦しうかたはらいたし。はらへなどいふ所にたるひ いふかたなうしたり。をかしうもあるかなと見つゝ歸るに、おとなゝるものゝ、わらはさうぞくして髮をかしげにて行くあり。見ればありつる氷を一重の袖に包みもたりて、くひゆく。故あるものにやあらむと思ふほどに、我が諸共なる人、物をいひかけたれば、ひくゝみたる聲にて「丸をのたまふか」といふを聞くにぞ、なはものなりけりと思ひぬる。頭ついて「これ食はぬ人は、思ふ事ならざるか〈はイ〉」といふ。まがまがしう「さいふものゝ袖ぞぬらすめる」とひとりごちて、又思ふやう、

 「我が袖のこほりは春も知らなくにこゝろとけても人の行くかな」。

歸りて三日ばかりありて賀茂に詣でたり。雪風いふかたなう降りくらがりてわびしかりしに、風おこりて臥しなやみつるほどに、しもつきにもなりぬ。しはすも過ぎにけり。十五日なか〈びイ〉あり。大夫の雜色のをのこどもなびすとて騷ぐを聞けば、やうやうゑ〈よイ〉ひ過ぎて、「あなかまや」などいふ聲聞ゆる。をかしさに、やをら端の方に立ち出でゝ、見出したれば、月いとをかしかりけり。ひんがしざまにうち見やりたれば、山霞み渡りて、いとほのかに心すごし。柱により立ちて思はぬ山など思ひ立てれば、八月より絕えにし人はかなくてむつきにぞなりぬるかしと覺ゆるまゝに、淚ぞさくりもよゝにこぼるまで、

 「もろ聲に鳴くべきものを鶯はむつきともまだ知らずやあるらむ」